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最高裁判所第一小法廷 平成7年(行ツ)27号 判決 1997年10月23日

仙台市青葉区川内 (番地なし)

上告人

財団法人半導体研究振興会

右代表者理事

緒方研二

右訴訟代理人弁護士

吉澤敬夫

同弁理士

平山一幸

東京都千代田区霞が関三丁目四番三号

被上告人

特許庁長官 荒井寿光

右当事者間の東京高等裁判所平成五年(行ケ)第一五号審決取消請求事件について、同裁判所が平成六年一一月一〇日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人吉澤敬夫、同平山一幸の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。所論引用の判例は、事案を異にし本件に適切でない。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤井正雄 裁判官 小野幹雄 裁判官 遠藤光男 裁判官 井嶋一友)

(平成七年(行ツ)第二七号 上告人 財団法人半導体研究振興会)

上告代理人吉澤敬夫、同平山一幸の上告理由

第一、原判決には、左記のとおり理由不備の違法がある。

一、本件審決取消事件の重要な争点の一つは、上告人の特許出願に対し、特許庁が該特許出願前の文献に記載された公知技術から本願発明が容易に発明できるものとしてこれを拒絶したことについて、特許庁が当該公知文献に記載された技術の意味内容を誤解したか否かの点であった。

当該技術文献に記載された技術内容を理解するためには、本件特許出願前の技術水準の理解が必要であり、原審においてそのような技術水準を立証するための証拠が原告被告双方から提出されるに至った。

然るに、原判決は、取消事由1の判断中、本件特許出願前の技術水準を認定するにあたり、経験則からみて当然その内容をそのまま措信すべき書証が存在するにも拘わらず、これを否定する証拠もないまま、また首肯しうる合理的理由を何ら示すことなく該記載とおりの内容を採用せず、その措信すべき意味内容とは全く逆の結論を、単に推測によって導いており、明らかに判決に理由を付さない違法がある。

二、右技術水準についての争点を簡略に述べるならば、要するに、本件特許出願前の技術水準において、シリコン(Si)という単結晶半導体において用いられていた技術が、そのままガリウムヒ素(GaAs)という化合物半導体においても、適用できたのかどうか、という点であった。

三、 本願特許発明は、ガリウムヒ素半導体に、不純物イオンを打ち込み、「超階段接合」という特殊な密度分布をその厚さ方向に形成する技術に関するものである。

原審決は、ガリウムヒ素半導体にイオン注入を行っている技術が開示された引用例1と、シリコン半導体の超階段接合に関する技術が記載された引用例2を組み合わせることによって、本願発明が容易に発明できると認定し、原審において被上告人も当然これに沿う主張をなした。

これに対し上告人は、引用例1には、「所定の不純物密度分布を形成する」という技術などは記載されていないし、また本件特許出願当時の半導体素子の製造技術において、イオン注入法によって半導体の厚さ方向の不純物密度を任意にコントロールすることは、シリコン半導体においては既に完成された技術であったが、本願発明のガリウムヒ素という化合物半導体の分野では、未だ未完成の技術であり再現性よく任意の不純物密度分布を得られるものではなかったから、引用例1に引用例2のシリコン半導体におけるような厚さ方向の不純物密度を任意にコントロールする技術を当然には適用できたものではない、と主張したのである。

従って、右技術水準に関する争点は、引用例1をどう読むかという点で極めて重要であり、例えば本願出願前(引用例1の出願当時)の技術水準において、既にガリウムヒ素という化合物半導体においても任意の不純物密度分布を再現性よく容易に形成できたとすれば、引用例1においてもその密度分布もコントロールできた、という認定に結びつき、ガリウムヒ素においてはそのような任意の不純物密度分布が本願発明におけるようには未だ再現性よくコントロールできなかった、とすれば引用例1はそのような技術を前提としていなかったことになり、判決の結論も明らかに異なるものとなる重要な争点であった。

四、原審被告は、原審で引用例1においても、既に任意にその密度分布をコントロールできたことを主張し、その証拠として乙第一号証を提出した。乙第一号証は、一九七五年(昭和五〇年)二月初版発行のエレクトロニクス技術全書[8]イオン注入技術であり、被上告人は、同号証にイオン注入技術が記載されていることから、

「イオン注入技術は、乙第一号証にも記載されているように、不純物密度分布を正確に制御できる技術として従来よりよく知られており、この特徴は、イオンが注入される半導体材料の種類によって変わるものではない」(被告準備書面第1回6頁)

とする趣旨の主張をなした。その内容は、

乙第1号証の5頁1行~3行、11行~12行、29頁1行~3行に

「不純物の数および深さ方向分布はイオンの加速電圧、電流、注入時間により正確に制御できる」

「不純物プロファイルを正確に制御できるため、接合深さの制御精度がよく、また複雑な形の不純物プロファイルを比較的簡単に作ることができる」

「不純物の分布は半導体素子の設計上まず問題となる重要なものである。イオン注入した不純物の分布は第一に注入量、加速電圧および注入方向によって決まる。」

などの記載があり、本願発明のようなイオン注入法によって不純物密度分布を形成することが、当業者が当然考慮している設計上の事項であるとしたのである(被告同書面3頁8行~4頁下3行)。

五、しかしながら、前記引用箇所の全ての知見は、従来のシリコン半導体についてのみ当てはまる記述であり、当時の技術水準においては、本願発明におけるガリウムヒ素のような化合物半導体については、未だ適用できないものであることは当業者の常識であり、それであるからこそ、本願発明のような熱心な研究が続けられていたのである。

極めて重要であり、かつ特筆すべきことに、この事実は、原審被告が引用した乙第1号証の文献自身の別の箇所において明記されていることであった。

甲第18号証は、原審被告が援用した乙第1号証と全く同一の文献であるが、原審被告の前記引用箇所と別の箇所の第5章6.6.1の項(甲第18号証158頁~159頁)では、原審被告の主張と全く反対の事実が明記されている。

そこでは、イオン注入法をガリウムヒ素などの化合物半導体に応用する場合について言及しており当該箇所では、

「6.6.1ⅢⅠⅤ化合物(GaAs)への応用

化合物半導体へのイオン注入の応用は、pn接合(主として注入発光素子、受光素子)および欠陥による高抵抗層(素子分離、FET)を形成する目的から意欲的な研究が行われている。しかしながら主に以下の理由により、シリコンへのイオン注入の場合ほど成果が得られていないし、研究者の間で一致した結果が得られない場合が多い。

(1)化合物半導体へのイオン注入に伴って生ずる現象は、元素半導体の場合に比べてはるかに複雑であり、欠陥の構造や挙動に対する基礎データが不十分である。

(2)結晶性のすぐれた結晶、均一で再現性のある結晶を得ることがむずかしく、イオン注入効果を再現性よく捕らえるのがむずかしい。

(3)イオン注入やその後の熱処理法や取扱法により化学量論的ズレが発生し、電気特性に大きな影響を及ぼす。しかもそれを防止するための保護膜などの技術が完全でない。

したがって、比較的まとまった結果が得られているのは、プロトンやO+イオン注入による高抵抗層形成とGaAsやGaAsPへのZn+イオン注入によるpn接合の形成であるが、実用化段階には至っていない。」(以上傍線は上告人代理人。)

と明記している。

ここでは、ガリウムヒ素などの化合物半導体におけるイオン注入技術は、シリコンにおける技術とは格段の差異があり、到底実用化の段階に至っていないことが明記されている。従って原審被告が引用した部分については、ガリウムヒ素半導体に関する記述ではなくして、当時の常識であったシリコン単結晶半導体に関するものであることも分かる。

六、また原判決においては、右技術水準に関し、甲第18号証の記述内容に反する内容の証拠は、一切援用されていない。

従って、原審における証拠から認定できることは、少なくとも引用例1の出願当時である昭和五一年四月当時において、このようにガリウムヒ素半導体におけるイオン注入技術には様々な困難性があり、そのころ確立されていた元素半導体であるシリコン半導体における技術をそっくりそのまま適用できるようなものではなく、到底実用化の域に達していなかったことであり、そのような結論が証拠法則上、また経験則上当然に導かれなければならない。

七、しかしながら、原判決の右争点に関する認定は、実に驚くべきものであった。原判決は、甲第18号証における、ガリウムヒ素については未だ実用化の段階に至っていない旨の記載を正しく引用し(原判決22頁11行~23頁下2行)ながら、右争点について次のとおり認定している。

「上記記載によっても、上記文献の発行当時(昭和50年2月)すでに、化合物半導体へのイオン注入の応用の研究が意欲的に行われていたことは明らかであること、引用例1の発明の特許出願(昭和51年4月16日)は、乙第1号証(甲第18号証)の発行時の約1年後であって、イオン注入法を半導体プロセスに適用したときの前記のような特長や不純物の分布が半導体素子の設計上重要であることは、当然認識されていて、引用例1の発明のイオン注入法による半導体装置の製造においても、所定の不純物密度分布を形成することが設計上の事項として、当然の前提とされていたものと認めるのが相当である」(原判決23頁下2行~24頁10行傍線は上告代理人)。

八、右原判決の認定は、信じがたいことに、

1、甲第一八号証の発行当時化合物半導体へのイオン注入の研究が行われていた、

2、引用例1の出願は甲第一八号証の発行の1年後である、

という二つの事実から、

引用例1では、化合物半導体において、所定の不純物密度分布を形成することが設計上の事項として、当然の前提とされていた、という事実認定をしてしまっている。

即ち、原判決では、化合物半導体におけるイオン注入についての甲第一八号証に記載の各問題点、即ちガリウムヒ素については未だ実用化の段階に至っていないとする点は、引用例1の出願が甲第一八号証の発行より「一年後」であるから、そのような問題点は既に解決されていた、と言っているのである。

九、このような事実認定は、経験法則に反するのみならず、明らかに採証法則にも反していて、およそ許されない認定である。

甲第18号証は、明らかにシリコン半導体の技術は、右1のように積極的な研究はなされてはいたが、未だガリウムヒ素に適用するほど実用化の段階に至っていないことを明記している。

それなのに、ただ1年経過している、という事実だけで、それに反する証拠なくして、何故引用例1においては、そのような問題点が解決され、設計上の事項として当然の前提とされていることが認定できるのであろうか。

一〇、採証法則上からは、甲第18号証の内容について、その後にそれらに記載の一切の問題点が解決されたなどの甲第18号証の内容に反する事実を記載した証拠があれば格別、そのような証拠が存在しない以上、その内容どおり事実認定すべきことは当然である。

「一年経過」したという事実のみに依拠することによって、信〓性のある証拠に記載された内容と異なる事実認定をするのは、証拠によらずに単なる憶測によって、経験則から認められるべき事実と反対の事実を認定しているのに外ならないのであって、証拠によらずに裁判をなした結果となる。

まして、この種の高度の研究がなされている分野において、権威ある文献の記載内容を否定するためには、明確で厳然たる証拠が必要である筈である。

1年という月日が経過しただけで、不可能とされていたことが可能となった筈である、などという認定は、裁判所の判断とは信じられない乱暴な議論であって、特にこの種の高度な研究分野における技術の認定において、およそ何人をも納得させ得る合理的な理由ではあり得ない。

一一、原判決には、右取消事由1の争点の判断について、証拠判断における経験則によれば当然なすべき事実認定に反する事実認定をなし、証拠によらずに該事実認定をなし、首肯し得べき合理的理由が付されていないので、理由不備であることが明らかである。

第二、原判決には、最高裁昭和五一年三月一〇日大法廷判決に反する判例違反の違法がある。右大法廷判決によれば、審決取消訴訟における審理の対象は、特許庁における原審判において現実に争われ、審理判断された事由のみが裁判所において審理の対象とされるべきものであるところ、原判決は、次のとおり原審決が本願出願について特許を受けることができないとして取り上げた事項以外の新たな事項について判断をなしており、右判例に反している。

一、原判決は、取消事由2の判断の中で、引用例2にガリウムヒ素半導体について超階段接合を形成する技術の開示がある、とする趣旨の認定をしており(原判決24頁下2行~25頁14行)、その結果審決の判断に誤りはないとの結論を導いている。

しかし、このような判断は、事実に反するのみならず、原審決の認定と全く異なる事実認定であり、原審決で全く争点となっていなかった新たな争点(拒絶理由)を設定し、それに対して自ら事実判断をなす結果になっている。

二、原審決の認定における事実判断は、

引用例1には、

「GaAs中に所定の不純物密度分布を形成するために前記化合物半導体の主表面ないしはその一部にイオン注入法により不純物を前記化合物半導体領域に打込後に、前記化合物半導体をAs元素の蒸気圧によって満たされた雰囲気中で加えるAsの圧力を所定の圧力として熱処理することを特徴とする半導体装置の製造方法」

が開示されており、

引用例2には、

「GaAsバラクタ」、「超階段接合を有する不純物密度分布を形成したバリキャップダイオード」、「バリキャップダイオードにおいてイオン注入法を用い不純物ドーピングを行っていること」が記載されており、

「そしてバラクタもバリキャップダイオードも半導体装置であるから、引用例1の半導体装置において引用例2のGaAsバラクタのようなGaAs中に、バリキャップダイオードのような超階段接合を有する不純物密度を形成することは、当業者であれば必要に応じてなしうる」

とするものである(甲第1号証2頁下5行~5頁11行。)

この原審決の事実認定では、その記述から明らかなとおり、

引用例1における「GaAs中に所定の不純物密度分布を形成する」半導体装置の製造技術を、

引用例2の、「GaAsバラクタ」のようなGaAsに適用すれば、

GaAs中に引用例2の「超階段接合を有する不純物密度を形成したバリキャップダイオード」(注:Siのバリキャップダイオードである)にのような不純物密度分布が容易に得られる、

と認定しているのである。

三、審決の認定では、引用例2中に記載されている、「GaAsバラクタ」と、「超階段接合を有する不純物密度を形成したバリキャップダイオード」とを截然と区別している。

原審決では、引用例2に記載の「超階段接合を有するバリキャップダイオード」を「GaAsのダイオード」であるなどと事実認定しておらず、原判決の認定のように、引用例2中に「超階段接合」がシリコン中だけに限らずGaAsのバラクタにも形成されていることが記載されている、などという認定はしていない。

引用例2(甲第14号証)中の「超階段接合」に関する385頁左欄などの記述は、その前の384頁右欄2行~4行の「バリキャップダイオード」の「構造」についての記述において、

「半導体材料としては、不純物濃度分布の制御のしやすいSiが一般に用いられており」

と明記されているとおり、シリコンダイオードについての説明であることが明らかであるからなのである。

このように原審決の認定において、引用例2の「超階段接合」に関する記述が、GaAsのダイオードに関するものであるなどとは認定していないことは明らかである。原審決において、引用例2の「超階段接合」の記述が、シリコンダイオードに関するものであることを前提にしているからこそ、

引用例1の

「GaAs中に所定の不純物密度分布を形成する技術」

と、

引用例2の

「GaAsバラクタ」

とを組み合わせることにより、

同じ引用例2の

「バリキャップダイオードのような超階段接合」

を形成することが容易である、という結論を導いているのである。

原判決の認定のように、引用例2の「超階段接合」の記述が本当にGaAsのダイオードに関するものであるとしたら、引用例2に、既に超階段接合などの「所定の不純物密度を形成する」技術が記載されていることになり、原審決はわざわざ引用例1を持ち出すまでもなかったことになるのである。

四、原判決の取消事由2についての認定は、たまたま引用例そのものは原審決の引用例と変わりがないが、引用例に記載された事実認定について、原審決の事実認定と全く異なり、引用例2中に、既にGaAs中に超階段接合を形成する技術が記載されている、とするもので、新たに審決の認定とは全く異なった拒絶理由を提起し、それに対する判断を自らなす結果となっている。そのまうな拒絶理由は、原審判の審理において提起されていれば、それに相応した上告人側の主張と証拠提出がなされ、本件審判は全く異なった成り行きとなっていた筈である。

原審においては、原審被告からこのような新たな争点が提起され、それを裏付ける証拠として、乙第2~第4号証が提出されたが(原審被告準備書面第4回2頁~3頁参照)、原判決は原審被告のこのような主張と立証に明らかに引きずられ、原審判では審理されなかった事実を新たに判断の対象としてしまったものであり、違法である。

五、このように、引用例2にガリウムヒ素半導体において、超階段接合を形成する技術の開示があったか否か、およびそのことによって本願発明に対する拒絶理由が肯定されるかどうかの点は、原審判において何ら審理されなかった事項であり、審決の対象以外について原判決が審理の対象となし、その判断をなしたものであって、前述した最高裁判所昭和五一年三月一〇日大法廷判決[審決取消訴訟判決集昭51年11]の趣旨に反し、判例違反の違法がある。

よって、原判決は取り消されるべきである。

以上

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